ジバンシィ創業者を叔父に持つ、タフィンデザイナーのジェームズ・ド・ジバンシィの甥、ショーン氏の結婚式の様子を、3日間のパリでのリハーサルディナー、ウェルカムブランチ、挙式、披露宴の様子と共にお届けします。
ジバンシィ (GIVENCHY)の創業者を叔父に持つ、 タフィン (TAFFIN)のジュエリーデザイナーのジェームズ・ド・ ジバンシィ 。その甥にあたるショーンがパートナーと結婚。3日間にわたりパリで行われたリハーサルディナー、ウェルカムブランチ、挙式と披露宴の様子をお届け。 ダヘとショーン・ タフィン ・ド・ ジバンシィ は、2018年にカナダで出会った。季節は冬。当時、モントリオールにあるマギル大学に通っていたふたりは、学期初めのパーティーに参加しており、偶然の出会いを果たした。「マクギルは伝統行事がいろいろある大学で、そのひとつが “ウィンター・カーニバル”です。わかりやすく言うと、氷点下の中で、パーティーやスノーアクティビティ、バー巡りを行う1週間です」とダヘは説明する。 「ダヘはイベントのボランティアチームの一員で、クロークとチケットの確認、飲料水を配るのを手伝っていたんです」と出会った日のことをショーンは振り返る。「カーニバルの初日にダヘを見かけたんですが、その夜は話しかけませんでした。翌日、再び彼女を見かけ、友人たちに背中を押されて、思い切って自己紹介をしたんです。少し話して、連絡先を聞きました。そのあとは知っての通りです」 ふたりはニューヨークで婚約した。「叔父がニューヨークに来ているから、カーサ・チプリアーニで彼とディナーをしよう、と彼女に告げて、ダウンタウンまで電車で行きました。叔父が泊まっているホテルで落ち合って、そこから3人でレストランに向かう、ということにしていたんです」。だが、初めからそのような予定などなく、すべてはダヘにプロポーズするためのサプライズ計画だった。案の定、部屋に着くとそこには叔父などおらず、ショーンは膝をついて、ダヘに結婚を申し込んだ。 「ショーンのことはよく知っていて、表情を見るだけで、何を考えているのかがわかると思っていたんです」とダヘ。「でも、違いました!全くもって何ひとつ怪しいと思わなくて、本当に驚きました。プロポーズをする瞬間までショーンが貫いていたあのポーカーフェイスは見事でしたし、素直な気持ちでプロポーズを受けられたので、完全なサプライズだったことが何より良かったです。今でもあのときのことは、とてもはっきりと覚えています」 エンゲージメントリングと結婚指輪はすべて、ショーンの叔父であるジェームズ・ド・ ジバンシィ によるオーダーメイドジュエリーのブランド、 タフィン (TAFFIN)のものだ。ジェームズのシグネチャーであるカラーセラミックのバンドの中から、ショーンはライトブルーのものをエンゲージメントリングに選び、そこにペアシェイプカットのダイヤモンドをあしらってもらった。「私のスタイルを忠実に捉えていると思います」とダヘはショーンから贈られた婚約指輪について言う。「カラーバンドがユニークでとても良い、といつもいろいろな人から言われます」 思い描いたのは、タイムレスでクラシック、そして紛れもなくパリらしいウエディング 結婚式は夏の終わりに、ショーンの母親と兄が現在住んでいるパリで挙げられた。ニューヨークではシビルユニオンを結んだ際に軽いお祝いをしたため、教会での本格的な式は、ショーンの母国であり、彼が幼少期のほとんどを過ごしたフランスで挙げるのがふさわしいとふたりは考えた。 ウエディングが行われたのは、8月28日から30日までの3日間。まず近親者とブライズメイドやグルームズマンを招いたリハーサルディナーが開かれ、2日目に親戚と友人たちを交えた若者向けのウェルカムブランチがあり、最終日に挙式と披露宴が行われた。「久しぶりに会う家族や友人とじっくり話し、過ごすことができたので、イベントを数日間にわたってやることができて本当によかったです」とショーンは言う。 ふたりがウエディングを計画し始めたとき、ダヘはまだ修士課程に在籍しており、ショーンはフルタイムで働いていたため、プランニングに割ける自由な時間はあまりなかった。「軌道に乗るまでが一番大変でした」とショーンは振り返る。「でも、ニューヨークでシビルユニオンを結んでから結婚式まで丸1年半あったのでよかったです。時間に追われるストレスを感じずに済んだので、かなり助かりました」 パリのイベントとブライダルプランニング会社メイデン・エージェンシーのマリー・ビトンの協力を得て、ふたりはまずメイン会場となるル・パヴィヨン・ドーフィンヌの日取りを決めた。壮大で歴史的な建築物あること、広大な屋外スペースがあること、騒音苦情を心配する必要がないほど住宅地から離れていること。パヴィヨンはふたりがあげたすべての条件を満たしていた。 「タイムレスで、クラシックで、紛れもなくパリらしいもの。それが、私が持っていた結婚式のビジョンでした」とダヘは言う。「私は大の“ビジョンボード”オタクなので、それぞれのイベントの雰囲気やインスピレーションがわかる画像を見つけるのに、週末のほとんどを費やしました。結婚式のために作ったビジョンボードは、100枚以上ものスライドがあるプレゼン資料で、満足のいく出来になるとマリーと共有しました。彼女はそれをもとに適切なベンダーやデザイナーを探してくれたんです。敏腕プランナーの腕を見事に発揮してくれました」 「僕は料理とワイン担当でした」とショーンは冗談混じりに付け加えた。 リハーサルディナーはラ・フォンテーヌ・ガヨンで行われた。「第一候補ではなかったんですが、当初予約したレストランが式の数週間前に倒産してしまって!でも、メイデン・エージェンシーのマリーと、マリーのビジネスパートナーのルイーズがすぐに新しい会場を探してくれて、最終的に選んだところの方がずっと良かったです。2区にあるこの一角は、文字通り映画のセットみたいで、居心地のいいテラスがあるんです。ゲストを迎えてウェルカムドリンクを飲んだり、ディナー中に一服したり、ちょっと新鮮な空気を吸うのに最適でした」 ダヘがディナーで身につけたのは、ヴィクトリア ベッカム(VICTORIA BECKHAM)のドレス。「このルックは、クラシックなラインと意外なディテールを完璧にマリアージュした1着です。体にフィットするタイムレスなサテンドレスでありながら、クロスした黒いストラップと、床まであるトレーンというモダンなテイストも兼ね備えているところが気に入りました」。ブレザーは韓国発のブランド、キムヘキム(KIMHEKIM)のものを着用した。「何年も前からマークしていたブランドなんです。クラシックなブレザーですが、フェミニンなフリルやフロントのパールのディテールが特徴的です」 翌日のウェルカムブランチ会はLe 5 Particulierで開かれた。「ここはパリ郊外のヌイイという、チャーミングなエリアにある隠れ家的なホテルです」とダヘは説明する。「緑豊かなプライベートガーデンがあって、パリ中心部とは全くの別世界にいるような気分になります。一日中雨の予報だったんですが、ラッキーなことに直前に止んでくれました」。アクティビティにはパリをテーマにした景品が当たるビンゴゲーム、食べ物にはプロフィトロールの屋台と、ヴィエノワズリーのビュッフェが用意されていた。「ビンゴゲームは場の雰囲気を和らげ、異なるグループが交流するきっかけを作るのにぴったりな方法でした!」 とダヘは言う。 全員の心が満たされた、幸せな3日間 カトリックとして育ったため、ミサ形式の挙式をしたかったというふたりは、式会場にサント・クロチルド大聖堂を選んだ。「サント・クロチルド大聖堂は、僕の家族が住んでいる区にある教会で、僕たち家族が節目節目で訪れてきた場所でもあるんです」とショーンは説明する。ふたりは教区司祭であるマルク・ランブレに会い、彼に司式をお願いした。引退を控えていた司祭にとって、偶然にも、この結婚式で挙げるミサが最後のミサとなった。「ウエディングのイベントの中でも、ミサは最も好きな場面のひとつでした」とダヘは言う。 ダヘが纏ったウエディングドレスは、彼女がブライダル業界のネットワーキングイベントで偶然知り合ったというアンドリュー クォン(ANDREW KWON)によるものだった。ともに韓国のバックグランドを持つふたりは、会ってすぐに意気投合し、イベントの何週間か後に開催されたブライダルショーに、クォンはダヘを招待した。そこで、彼女はヘビーサテンから作られた、1着のストラップレスのボールガウンに魅了された。 「ショーの数日後にそのドレスを試着しに行ったんですが、一目惚れではなかったです」とダヘは明かす。「その時点でマンハッタンのブライダルサロンを10軒以上回っていたにもかかわらず、運命の1着はまだ見つかっていませんでした。どの白いドレスも同じように見えてきて、お気に入りの1着には出会えないかもと落胆しかけていたんです。でも、直感で『良い』と感じたもの以外は選ばない。ドレスには妥協しないと決めていました」 数日後、ネットでクォンが過去に手がけたブライダルコレクションを見ていたダヘの目に、豪華なタフタのケープが留まった。例のボールガウンと合わせたらどうか。そう思った彼女は、店頭でドレスと一緒に試着することは可能か問い合わせた。「来店時には黒のサンプルしかなかったんですが、アンドリューのチームが白の場合はどんな感じかを、レンダリングで見せてくれました」とダヘは説明する。「思い切って、このケープとガウンにすることにしたんです」 クォンのチームは、ドレスに完璧にマッチする色合いを見つけるために、何十種類もの白いタフタをサンプリングし、ケープの構造と縫製に膨大な時間を費やした。長いカテドラルベールと、シワ加工を施したタフタのケープのおかげで、クラシックでタイムレスなウエディングドレスにドラマティックな要素がプラスされ、唯一無二の1着となった。 「式の間中は、本当にこの上なく幸せでした」とダヘは振り返る。「父とバージンロードを歩きながら、私にとって一番大切な人たちや、私を育ててくれた人たちの笑顔を見て、何とも言えない気持ちになりました。シビルユニオンは1年半前に結んでいたのですが、家族や友人の前で誓いを交わすことが、ショーンと私の絆をさらに強めてくれて、ふたりの結びつきの強さを象徴してくれた気がします。フラワーシャワーの演出も幻想的で、花びらが舞う中を歩くのは至福の瞬間でした!」 大聖堂の前で家族と集合写真を撮った後、ふたりはリムジンで披露宴会場のル・パヴィヨン・ドーフィンヌに向かい、束の間の二人時間を過ごした。そしてパヴィヨンに到着し、足を踏み入れるや否やダヘは息を呑んだ。「マリーとルイーズ、そして彼女たちのチームの会場作りは、細部に至るまで完璧でした。パヴィヨンの中に入ると、ちょうど飲みたかったシャンパンを振る舞われて、弦楽カルテットの生演奏と、笑顔のゲストたちが私たちを迎えてくれたんです。大事な場面も写真撮影もほとんど終わっていたので、やっと少し羽を伸ばして、今この瞬間を楽しめると思いました」と彼女は言う。 ガーデンでウェルカムカクテルが振る舞われた後、ゲストたちは鏡張りのボールルームに案内され、キャンドルが灯るバンケットテーブルに着席。ディナーはダヘの両親によるスピーチで始まった。続いてショーンの母親がスピーチを行い、ショーンの兄たちも、デザートがサーブされている間に微笑ましいエピソードの数々を披露した。「兄たちのスピーチの間中、ダヘの姪のジアがゲストにリアクションを指示するカンペを出していたのですが、それが好評でした」とショーンは振り返る。 晴れの日のファーストダンスに向けて、ダヘとショーンは半年間レッスンを受けた。「ふたりとも、新しいスキルを一緒に学ぶことに本当に一生懸命でした」とダヘは言う。「私のために、普段は絶対やらないようなことに挑戦してくれて、ショーンにはとても感謝しています。実際、楽しいデートになったので、夜のダンスクラスはすごく好きでした」 ディナーとレセプションの後に開かれたアフターパーティーは、夜遅くまで続いた。「そろそろ切り上げてほしいという空気をスタッフは出していたんですが、誰も気づかなかったので、会場の照明が全部つけられるまでわいわいやっていました」とダヘは笑う。「みんなが周りを気にせずに、純粋にその場を楽しでいる姿を見て、とても幸せな気持ちになりました。みんなと一緒に一生の思い出を作れたことも、とても嬉しかったです。とにかく感謝の気持ちでいっぱいです。でも、世界中から駆けつけてくれたゲストたちがみんな、無事にパリにたどり着けて、心を満たして帰っていったことが、何より嬉しかったです」.
ジバンシィ(GIVENCHY)の創業者を叔父に持つ、タフィン(TAFFIN)のジュエリーデザイナーのジェームズ・ド・ジバンシィ。その甥にあたるショーンがパートナーと結婚。3日間にわたりパリで行われたリハーサルディナー、ウェルカムブランチ、挙式と披露宴の様子をお届け。 ダヘとショーン・タフィン・ド・ジバンシィは、2018年にカナダで出会った。季節は冬。当時、モントリオールにあるマギル大学に通っていたふたりは、学期初めのパーティーに参加しており、偶然の出会いを果たした。「マクギルは伝統行事がいろいろある大学で、そのひとつが “ウィンター・カーニバル”です。わかりやすく言うと、氷点下の中で、パーティーやスノーアクティビティ、バー巡りを行う1週間です」とダヘは説明する。 「ダヘはイベントのボランティアチームの一員で、クロークとチケットの確認、飲料水を配るのを手伝っていたんです」と出会った日のことをショーンは振り返る。「カーニバルの初日にダヘを見かけたんですが、その夜は話しかけませんでした。翌日、再び彼女を見かけ、友人たちに背中を押されて、思い切って自己紹介をしたんです。少し話して、連絡先を聞きました。そのあとは知っての通りです」 ふたりはニューヨークで婚約した。「叔父がニューヨークに来ているから、カーサ・チプリアーニで彼とディナーをしよう、と彼女に告げて、ダウンタウンまで電車で行きました。叔父が泊まっているホテルで落ち合って、そこから3人でレストランに向かう、ということにしていたんです」。だが、初めからそのような予定などなく、すべてはダヘにプロポーズするためのサプライズ計画だった。案の定、部屋に着くとそこには叔父などおらず、ショーンは膝をついて、ダヘに結婚を申し込んだ。 「ショーンのことはよく知っていて、表情を見るだけで、何を考えているのかがわかると思っていたんです」とダヘ。「でも、違いました!全くもって何ひとつ怪しいと思わなくて、本当に驚きました。プロポーズをする瞬間までショーンが貫いていたあのポーカーフェイスは見事でしたし、素直な気持ちでプロポーズを受けられたので、完全なサプライズだったことが何より良かったです。今でもあのときのことは、とてもはっきりと覚えています」 エンゲージメントリングと結婚指輪はすべて、ショーンの叔父であるジェームズ・ド・ジバンシィによるオーダーメイドジュエリーのブランド、タフィン(TAFFIN)のものだ。ジェームズのシグネチャーであるカラーセラミックのバンドの中から、ショーンはライトブルーのものをエンゲージメントリングに選び、そこにペアシェイプカットのダイヤモンドをあしらってもらった。「私のスタイルを忠実に捉えていると思います」とダヘはショーンから贈られた婚約指輪について言う。「カラーバンドがユニークでとても良い、といつもいろいろな人から言われます」 思い描いたのは、タイムレスでクラシック、そして紛れもなくパリらしいウエディング 結婚式は夏の終わりに、ショーンの母親と兄が現在住んでいるパリで挙げられた。ニューヨークではシビルユニオンを結んだ際に軽いお祝いをしたため、教会での本格的な式は、ショーンの母国であり、彼が幼少期のほとんどを過ごしたフランスで挙げるのがふさわしいとふたりは考えた。 ウエディングが行われたのは、8月28日から30日までの3日間。まず近親者とブライズメイドやグルームズマンを招いたリハーサルディナーが開かれ、2日目に親戚と友人たちを交えた若者向けのウェルカムブランチがあり、最終日に挙式と披露宴が行われた。「久しぶりに会う家族や友人とじっくり話し、過ごすことができたので、イベントを数日間にわたってやることができて本当によかったです」とショーンは言う。 ふたりがウエディングを計画し始めたとき、ダヘはまだ修士課程に在籍しており、ショーンはフルタイムで働いていたため、プランニングに割ける自由な時間はあまりなかった。「軌道に乗るまでが一番大変でした」とショーンは振り返る。「でも、ニューヨークでシビルユニオンを結んでから結婚式まで丸1年半あったのでよかったです。時間に追われるストレスを感じずに済んだので、かなり助かりました」 パリのイベントとブライダルプランニング会社メイデン・エージェンシーのマリー・ビトンの協力を得て、ふたりはまずメイン会場となるル・パヴィヨン・ドーフィンヌの日取りを決めた。壮大で歴史的な建築物あること、広大な屋外スペースがあること、騒音苦情を心配する必要がないほど住宅地から離れていること。パヴィヨンはふたりがあげたすべての条件を満たしていた。 「タイムレスで、クラシックで、紛れもなくパリらしいもの。それが、私が持っていた結婚式のビジョンでした」とダヘは言う。「私は大の“ビジョンボード”オタクなので、それぞれのイベントの雰囲気やインスピレーションがわかる画像を見つけるのに、週末のほとんどを費やしました。結婚式のために作ったビジョンボードは、100枚以上ものスライドがあるプレゼン資料で、満足のいく出来になるとマリーと共有しました。彼女はそれをもとに適切なベンダーやデザイナーを探してくれたんです。敏腕プランナーの腕を見事に発揮してくれました」 「僕は料理とワイン担当でした」とショーンは冗談混じりに付け加えた。 リハーサルディナーはラ・フォンテーヌ・ガヨンで行われた。「第一候補ではなかったんですが、当初予約したレストランが式の数週間前に倒産してしまって!でも、メイデン・エージェンシーのマリーと、マリーのビジネスパートナーのルイーズがすぐに新しい会場を探してくれて、最終的に選んだところの方がずっと良かったです。2区にあるこの一角は、文字通り映画のセットみたいで、居心地のいいテラスがあるんです。ゲストを迎えてウェルカムドリンクを飲んだり、ディナー中に一服したり、ちょっと新鮮な空気を吸うのに最適でした」 ダヘがディナーで身につけたのは、ヴィクトリア ベッカム(VICTORIA BECKHAM)のドレス。「このルックは、クラシックなラインと意外なディテールを完璧にマリアージュした1着です。体にフィットするタイムレスなサテンドレスでありながら、クロスした黒いストラップと、床まであるトレーンというモダンなテイストも兼ね備えているところが気に入りました」。ブレザーは韓国発のブランド、キムヘキム(KIMHEKIM)のものを着用した。「何年も前からマークしていたブランドなんです。クラシックなブレザーですが、フェミニンなフリルやフロントのパールのディテールが特徴的です」 翌日のウェルカムブランチ会はLe 5 Particulierで開かれた。「ここはパリ郊外のヌイイという、チャーミングなエリアにある隠れ家的なホテルです」とダヘは説明する。「緑豊かなプライベートガーデンがあって、パリ中心部とは全くの別世界にいるような気分になります。一日中雨の予報だったんですが、ラッキーなことに直前に止んでくれました」。アクティビティにはパリをテーマにした景品が当たるビンゴゲーム、食べ物にはプロフィトロールの屋台と、ヴィエノワズリーのビュッフェが用意されていた。「ビンゴゲームは場の雰囲気を和らげ、異なるグループが交流するきっかけを作るのにぴったりな方法でした!」 とダヘは言う。 全員の心が満たされた、幸せな3日間 カトリックとして育ったため、ミサ形式の挙式をしたかったというふたりは、式会場にサント・クロチルド大聖堂を選んだ。「サント・クロチルド大聖堂は、僕の家族が住んでいる区にある教会で、僕たち家族が節目節目で訪れてきた場所でもあるんです」とショーンは説明する。ふたりは教区司祭であるマルク・ランブレに会い、彼に司式をお願いした。引退を控えていた司祭にとって、偶然にも、この結婚式で挙げるミサが最後のミサとなった。「ウエディングのイベントの中でも、ミサは最も好きな場面のひとつでした」とダヘは言う。 ダヘが纏ったウエディングドレスは、彼女がブライダル業界のネットワーキングイベントで偶然知り合ったというアンドリュー クォン(ANDREW KWON)によるものだった。ともに韓国のバックグランドを持つふたりは、会ってすぐに意気投合し、イベントの何週間か後に開催されたブライダルショーに、クォンはダヘを招待した。そこで、彼女はヘビーサテンから作られた、1着のストラップレスのボールガウンに魅了された。 「ショーの数日後にそのドレスを試着しに行ったんですが、一目惚れではなかったです」とダヘは明かす。「その時点でマンハッタンのブライダルサロンを10軒以上回っていたにもかかわらず、運命の1着はまだ見つかっていませんでした。どの白いドレスも同じように見えてきて、お気に入りの1着には出会えないかもと落胆しかけていたんです。でも、直感で『良い』と感じたもの以外は選ばない。ドレスには妥協しないと決めていました」 数日後、ネットでクォンが過去に手がけたブライダルコレクションを見ていたダヘの目に、豪華なタフタのケープが留まった。例のボールガウンと合わせたらどうか。そう思った彼女は、店頭でドレスと一緒に試着することは可能か問い合わせた。「来店時には黒のサンプルしかなかったんですが、アンドリューのチームが白の場合はどんな感じかを、レンダリングで見せてくれました」とダヘは説明する。「思い切って、このケープとガウンにすることにしたんです」 クォンのチームは、ドレスに完璧にマッチする色合いを見つけるために、何十種類もの白いタフタをサンプリングし、ケープの構造と縫製に膨大な時間を費やした。長いカテドラルベールと、シワ加工を施したタフタのケープのおかげで、クラシックでタイムレスなウエディングドレスにドラマティックな要素がプラスされ、唯一無二の1着となった。 「式の間中は、本当にこの上なく幸せでした」とダヘは振り返る。「父とバージンロードを歩きながら、私にとって一番大切な人たちや、私を育ててくれた人たちの笑顔を見て、何とも言えない気持ちになりました。シビルユニオンは1年半前に結んでいたのですが、家族や友人の前で誓いを交わすことが、ショーンと私の絆をさらに強めてくれて、ふたりの結びつきの強さを象徴してくれた気がします。フラワーシャワーの演出も幻想的で、花びらが舞う中を歩くのは至福の瞬間でした!」 大聖堂の前で家族と集合写真を撮った後、ふたりはリムジンで披露宴会場のル・パヴィヨン・ドーフィンヌに向かい、束の間の二人時間を過ごした。そしてパヴィヨンに到着し、足を踏み入れるや否やダヘは息を呑んだ。「マリーとルイーズ、そして彼女たちのチームの会場作りは、細部に至るまで完璧でした。パヴィヨンの中に入ると、ちょうど飲みたかったシャンパンを振る舞われて、弦楽カルテットの生演奏と、笑顔のゲストたちが私たちを迎えてくれたんです。大事な場面も写真撮影もほとんど終わっていたので、やっと少し羽を伸ばして、今この瞬間を楽しめると思いました」と彼女は言う。 ガーデンでウェルカムカクテルが振る舞われた後、ゲストたちは鏡張りのボールルームに案内され、キャンドルが灯るバンケットテーブルに着席。ディナーはダヘの両親によるスピーチで始まった。続いてショーンの母親がスピーチを行い、ショーンの兄たちも、デザートがサーブされている間に微笑ましいエピソードの数々を披露した。「兄たちのスピーチの間中、ダヘの姪のジアがゲストにリアクションを指示するカンペを出していたのですが、それが好評でした」とショーンは振り返る。 晴れの日のファーストダンスに向けて、ダヘとショーンは半年間レッスンを受けた。「ふたりとも、新しいスキルを一緒に学ぶことに本当に一生懸命でした」とダヘは言う。「私のために、普段は絶対やらないようなことに挑戦してくれて、ショーンにはとても感謝しています。実際、楽しいデートになったので、夜のダンスクラスはすごく好きでした」 ディナーとレセプションの後に開かれたアフターパーティーは、夜遅くまで続いた。「そろそろ切り上げてほしいという空気をスタッフは出していたんですが、誰も気づかなかったので、会場の照明が全部つけられるまでわいわいやっていました」とダヘは笑う。「みんなが周りを気にせずに、純粋にその場を楽しでいる姿を見て、とても幸せな気持ちになりました。みんなと一緒に一生の思い出を作れたことも、とても嬉しかったです。とにかく感謝の気持ちでいっぱいです。でも、世界中から駆けつけてくれたゲストたちがみんな、無事にパリにたどり着けて、心を満たして帰っていったことが、何より嬉しかったです」
