「学ぶ」ことの真の意味とは何か──コンピューター科学の第一人者レスリー・ヴァリアントは新著『The Importance of Being Educable』で、重要なのは単なる知性ではなく、人間が長い時間をかけて学ぶ能力だと指摘する。
ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を初めて読んだのは、大学2年のときだった。まったく理解できなかった。若くて聡明なドロシアが、なぜ面倒くさい年輩と結婚するのか。バカじゃないか? クラスの誰も理解しているようには見えず、暴論に走った教授は「もちろん、わからんだろう」と叫ぶと、ダイエットコークを口にしてからこう続けた。「いいかい。君たちが40歳になってから、例えば一度離婚なんかを経験してから、もう一度読んでみるといい。そうすればきっとわかる」 おそらく、人間が受ける教育の最たる悲劇は、18歳から22歳の間にあまりにも多くが詰め込まれることだろう。12歳の子どもに運転を教えたりはしない。クルマをもっていないからだ。では、なんだって人生の悲哀を描いた小説を、そんな経験のない年齢で読ませるのか。それでも、『ミドルマーチ』を大学2年生の課題にすることに理屈はある。獲得するのが早すぎた知識は、そのまましまい込まれるのだ。いま蓄積された思考のパターンは、あとになって繰り返される。初めて接した芸術上の概念は、残りの人生をかけて熟成していく。不確かで曖昧に聞こえるかもしれないが、必要なときに必要な知識を使えることはまずないという事実に、いずれ気がつくだろう。 いまロースクールで授業を受けても、厄介な事案を扱うのは何年も先のことだ。心肺蘇生法を覚えたとして、溺れている人を救う日はいつ来るのか。クマに襲われたときの撃退方法をネットで読む、その理由は誰にもわからない。20世紀の半ばにトヨタはジャスト・イン・タイム生産という手法を編み出した。クルマの部品はできるだけ組み立てる時間に近いタイミングで製造・配送する。そうすると、ムダや保管費用を削減できるので、最大限に効率的だった。しかし、人間の頭はそんなふうには機能しない。知識は、使い道がわかる日まで、わたしたちの頭の中の倉庫で無為に埋もれていくのである。 これを強みとみなしているのが、ハーバード大学で教鞭をとる著名なコンピューター科学者レスリー・ヴァリアントだ。人間が長い時間をかけて学ぶ能力をヴァリアントは「教育可能性(educability)」と呼び、新しい著書『The Importance of Being Educable(教育できることの大切さ)』[未邦訳]のなかで、それが成功の鍵だと論じている。人間の頭脳を特別なものと考えるとき、わたしたちはまず知性のことを思い浮かべる。だが、あらゆる複雑さを踏まえて現実を把握したければ、「賢さだけでは足りない」とヴァリアントは説く。世界について包容力と柔軟性に富む理論を構築する必要がある。すなわち、予想外のまったく新しい環境でわたしたちに何かをもたらす理論であり、そのためにはわたしたちは多種多様な知識を獲得する。思いがけない発見を求めて、ゆっくりと積み重ね、織り合わせていくのだ。このプロセスを通じて、わたしたちは個人の直接的な体験から生み出す以上に広く豊かな思考のシステムを獲得していく。そうして、初めて離婚を経験した末に、英文学から借りた知恵を活かせるようになる。 ヴァリアントは2010年にチューリング賞を受賞している。この分野のノーベル賞に匹敵する賞であり、受賞理由は人工知能(AI)と分散コンピューティング(多くのコンピューターを連携させて問題を解決する)の基礎となる概念を考案したことだった。著書のなかで、ヴァリアントはAIの学習と人間の学習とを比較している。AIは驚異的に賢い場合があり、ある意味で人のように直観的に思考することさえある。だが、AIシステムは人間の頭脳ほど柔軟ではないとヴァリアントは指摘する。まだ教育可能ではないからだ。最新のAIでも学習のプロセスは固定的で、訓練には膨大な費用がかかるうえに、それ以降はどれほど新しい情報を吸収しようと、訓練した以上に賢くなることはない。まるで、卒業したその日に頭が固まってしまうようなものだ。一方、人間は新しく獲得した事実や概念を過去に獲得した事実や概念と結び付ける無限のプロセスを解き放ちながら、自身の頭を常に発達させていく。わたしたちは「何年も間の空いたばらばらの知識を組み合わせ」て、「膨大な数の個々のパーツから成る極めて複雑な理論をかたちづくる」のだ。 ヴァリアントは、人を表すときに「知的」という言葉を使わないようにしている(それどころか、ほかの人の口からその語から出ると「面食らうこともある」)と話す。代わりに関心を示しているのが「IQという従来の概念では捉えきれない、ともかくも学習したことを取り込む貴重な能力」だ。ヴァリアントによると、教育可能な頭脳は書籍や講演、会話、経験、禅の公案など、実際にはありとあらゆるものから学ぶことができる。そして、ほとんど忘れ去った知識のなかで関連性の高い一面が明らかになってきたとき、それに気づくことができる。わたしたちは、人の学習能力に感心すると、飲み込みが早いと評したり「教えやすい」と判断したりする。しかし、真の意味で教育可能性が高いというのは、「学習または指導のあった時点では予測できなかった目的に」知見を応用することだ。教育可能性とはいわば「世渡りの知恵」、つまりは「人生の現実を交渉する抜け目ない能力」を意味する言葉で表されるようものであり、常識をもっていることにも密接に関連する。わたしたちが特に「教育の高さ」に感心するとき、それは学歴の高さを意味しがちだが、教育可能性が極めて高く、「公式にでも非公式にでも、教育の機会があれば何でも巧みに利用する」能力があることも意味する、とヴァリアントは記している。 政治指導者の教育可能性は、もっと高ければいいとわたしたちは考えるだろう。政治家は「選挙で選ばれたときにもっていた知識や経験をはるかに超える事態について判断しなければならない」からだ。医師の教育可能性も高く評価されるとヴァリアントは言う。例えば、脇腹に痛みを感じたとしよう。虫垂炎だろうか? このとき、何人かの実際に病気に罹った人の経験談を参考にしながら自分の知識に頼るのは賢明ではない、とヴァリアントは書いている。それよりも、1,000件の症例を見てきた経験のある医師の診察を受けるほうがいいだろう。一方で医療AIも、数千件の症例を学習していることだろう。それどころか「100万件の症例を見たことがあるAIなら、個々の人間の経験を優に超えているので、人間の直観で捉えられるよりはるかに的確な予測を立てられる可能性がある」。それでもなお「わたしたちが医師の診察を受けるのは、1,000件の症例を見てきた経験があるから」ではなく「医師がそれ以上の答えをくれると考えているから」なのだとヴァリアントは主張する。そうした特別な価値の基盤になるのが、教育可能性なのだ。 ヴァリアントは詳細にまで踏み込んでいないが、ここで例にあげた医師の教育可能性から得られる価値は想像がつく。このような医師なら、長年の学習経験で得た幅広い概念やつながりを活用できるだろう。虫垂炎については、もちろん学生時代に学んでおり、目の前の症例には当てはまらないとただちに判断する。一方、偶然ながら弟が熱心な自転車乗りで、患者が使っている水のボトルには弟の自転車に貼ってあるのと同じロゴがあしらわれているのに気づくかもしない。そういえば、街なかの自転車レーンが危険になってきたというネット記事を読んだことがある気がする。さらに視野を拡げて、医師が新しい理論も想定したとすれば、患者の生活について細かいところまで質問すべきだろう。自転車が趣味かどうかを尋ね、その通りであることがわかって、最終的に真の原因を突き止める。自転車で転倒したときに胸郭を打撲していたのだ。そうなると、自分の診療科目ではない。教育可能性を備えていたために、この医師は今回の症例を学びの機会と捉え、医師として成長できるのだ。 教訓を学び、それが別の機会に活きる 以上は、教育可能性の例としてはだいぶ型通りで明解な話だった。ヴァリアントの説明は、時としてもっと奔放で、おそらくもっと強力に思える。たいていの場合、教育可能であることに伴う知識の結び付き、再構成、新たな使い方が役に立つのは、まさにそれらが明白でないからだろう。わたしはときどき、人生のある時点で学ぶひとつの教訓を学び、それが別の機会に活きそうだと感じることがある。例えば、海岸に沿って泳ぐとき、わたしは砂浜に立つパラソルを確かめては、あまり進んでいないと思ってしまう。だが、クロールから背泳ぎに切り替えると、振り返らずに泳ぎ進んでからふと見たときの距離に驚くことが多い。段階的な進歩は、意識しないまま積み重ねていくほうが進行は速いのだという発見は、ものを書くときに(そして、ガレージを片づける気持ちを奮い起こすときにも)役に立ってきた。大学時代に選択した土木工学の授業は、橋や高層ビルが負う構造的な力の講義が中心だったが、何を考えるときにもかなりの頻度でその内容を思い出す。高層ビルの高さ全体に風の力が加わると、ビルは曲がってしまう。それと同様に、人生で新しくストレスの源になるものは部分部分に切り分けたりできず、その圧力が全体にのしかかってくる。教育可能性というレンズを通じて人の思考を考えるのはおもしろいものだ。そのほかにも、相互交流がいかにして起こるのか興味が湧いてくる。 ヴァリアントは、教育可能性をひとつの理想として推進すれば有益ではないかと考えている。その測り方や教え方について、学生時代に理解しようと試みてもいいし、大人になってからそれを推奨するのもよい。技術的な変化が加速するところに、常にもっと多くの学びが必要であるとすれば、さらに教育可能な社会全般を目指すのもいいだろう(ヴァリアントが提唱するように「人工的な教育可能性」をもてるAIが実現すれば、その変化はさらに加速する)。 もっとずっと卑近な話になるが、本書を読んでわたしが考えたのは、自分自身の教育可能性をいかに伸ばせるかということだった。わたし自身は、もっと広いテーマについて学び続け、もっといろいろなことに挑戦しようと決めた。そのすべてがいつの日か脳内で結び付くと期待しているからだ。過去に学んだことを思い出すのは、もしかすると苦しいのではとも思う。家の地下室には本棚が何本かあって、学部時代から大学院時代にかけて読んだ本が眠っている。『ミドルマーチ』もそこにあるし、当時は理解できず、時間がたってから価値がわかるようになった本がほかにも並んでいる。いま学ぶことがいずれ意味をもつかもしれないと期待して、すぐには役に立たない、現実的には役に立たないことでも広く読む──それこそが、定義としての一般教養教育だ。この説を最も強く主張しているのが、コンピューター科学の第一人者なのは、意外かもしれないが、意外なことではないともいえるのだ。 (Originally published on The New Yorker , translated by Akira Takahashi/LIBER, edited by Michiaki Matsushima) ※『WIRED』による学習の関連記事はこちら。 Related Articles 今後、都市への人口集中はますます進み、2050年には、世界人口の約70%が都市で暮らしていると予想されている。「都市の未来」を考えることは、つまり「わたしたちの暮らしの未来」を考えることと同義なのだ。だからこそ、都市が直面する課題──気候変動に伴う災害の激甚化や文化の喪失、貧困や格差──に「いまこそ」向き合う必要がある。そして、課題に立ち向かうために重要なのが、自然本来の生成力を生かして都市を再生する「リジェネラティブ」 の視点だと『WIRED』日本版は考える。「100年に一度」とも称される大規模再開発が進む東京で、次代の「リジェネラティブ・シティ」の姿を描き出す、総力特集! 詳細はこちら。.
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The New Yorker 人工知能 / Ai 教育 / Education 学習 / Learning 本 / Book
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