【悼む スポニチ本紙特別編集委員・宮内正英】昭和ど真ん中の頃。野球少年の背番号は3番だらけだった。銭湯の下駄箱は3番が空いていることがなかった。大人も子供も… - スポーツニッポン新聞社の公式サイト(www.sponichi.co.jp)
【悼む スポニチ本紙特別編集委員・宮内正英】昭和ど真ん中の頃。野球少年の背番号は3番だらけだった。銭湯の下駄箱は3番が空いていることがなかった。大人も子供も、世の中すべての目は3番に注がれていた。そんな国民的注視の中で長嶋茂雄は魅せること。そして見せることに生涯をささげた人だった。「稽古は見せ物ではありません」という信念。常に人知れぬ場で努力を重ね、舞台では天才を演じる、不世出の千両役者だった。 「もちろん鮮明に覚えていますよ。甲子園と後楽園でしたね。2度やりました」という伝説のプレー。投手の頭を超えた二遊間のゴロを三塁から猛ダッシュ、そのまま流れるようなスローイングでさばいた光景はさながら劇画だった。 「長嶋は常に左足に重心をかけていたから、三遊間の打球には強かった。逆に弱くなる三塁線はこっそり抜かれ方を練習していた。転がって背番号を泥だらけにしながら、帽子を叩いて悔しがる、あれだよ」。藤田元司から聞いた話だ。 長嶋茂雄の動きはほとんどすべて計算された演技だったと思う。あの流れるようなスローイングは歌舞伎十八番「勧進帳」のラストシーン。弁慶の飛び六方がヒントではないか。長嶋は「エッへへへ」とかわし、否定も肯定もしなかった。 今や伝説となった1979年(昭54)の長嶋巨人の伊東秋季キャンプ。舞台となった伊東スタジアムは1953年(昭28)に立大野球部のセレクションが行われた思い出の地だった。早朝、偶然2人だけで話ができる機会に恵まれた。「私にとって六大学の野球は最初の2年間だけでした。残りの2年はプロでどういうプレーヤーになればファン受けするのか、そればかり考えていました」。 プロ1年目の1958年(昭33)。長嶋は開幕戦で金田正一(国鉄)に歯が立たず4打席4三振に倒れたが、終わってみれば130試合全イニングに出場。本塁打、打点の2冠王(打率は2位)に輝いた。「長いこと野球に携わったが、長嶋ほどバネのある選手は見たことがない。二度と出ないだろう」。藤田元司晩年の言葉だ。 同じ年、長嶋は9月19日の広島戦(後楽園)で左中間に本塁打を放った際、一塁ベースを跳び越えたため記録上、投ゴロとなった。これも長嶋史の一ページだがベースさえ踏んでいれば30本塁打で新人史上初のトリプルスリー(3割、30本、30盗塁)を達成していた。ちなみに巨人でトリプルスリーをやり遂げた選手は今日まで誰もいない。 月日が流れ、持ち前のバネが衰え始めた現役終盤は、激しく腕を振って走るなどオーバーなアクションでファンを喜ばせた。衰えに立ち向かい、自宅の地下室で続けたトレーニング。取材を申し入れた系列局のプロデューサーに長嶋は「一度でも映像を撮ったら永遠に残ってしまう。絶対にダメだ!」。強い口調だったという。 20世紀最後のシーズン。長嶋監督は背番号を「33」から「3」に戻した。お披露目は宮崎キャンプ。2月12日は快晴の土曜日だった。超満員のファンで埋まったグラウンドに白のクラウンで乗りつけた長嶋監督は大歓声の中、ゆっくりジャンパーを脱いだ。ノックバットを握り「よし、行くぞ!」。26年ぶりの永久欠番復活ショーに鳥肌が立った。続きを表示.
【悼む スポニチ本紙特別編集委員・宮内正英】昭和ど真ん中の頃。野球少年の背番号は3番だらけだった。銭湯の下駄箱は3番が空いていることがなかった。大人も子供も、世の中すべての目は3番に注がれていた。そんな国民的注視の中で長嶋茂雄は魅せること。そして見せることに生涯をささげた人だった。「稽古は見せ物ではありません」という信念。常に人知れぬ場で努力を重ね、舞台では天才を演じる、不世出の千両役者だった。 「もちろん鮮明に覚えていますよ。甲子園と後楽園でしたね。2度やりました」という伝説のプレー。投手の頭を超えた二遊間のゴロを三塁から猛ダッシュ、そのまま流れるようなスローイングでさばいた光景はさながら劇画だった。 「長嶋は常に左足に重心をかけていたから、三遊間の打球には強かった。逆に弱くなる三塁線はこっそり抜かれ方を練習していた。転がって背番号を泥だらけにしながら、帽子を叩いて悔しがる、あれだよ」。藤田元司から聞いた話だ。 長嶋茂雄の動きはほとんどすべて計算された演技だったと思う。あの流れるようなスローイングは歌舞伎十八番「勧進帳」のラストシーン。弁慶の飛び六方がヒントではないか。長嶋は「エッへへへ」とかわし、否定も肯定もしなかった。 今や伝説となった1979年(昭54)の長嶋巨人の伊東秋季キャンプ。舞台となった伊東スタジアムは1953年(昭28)に立大野球部のセレクションが行われた思い出の地だった。早朝、偶然2人だけで話ができる機会に恵まれた。「私にとって六大学の野球は最初の2年間だけでした。残りの2年はプロでどういうプレーヤーになればファン受けするのか、そればかり考えていました」。 プロ1年目の1958年(昭33)。長嶋は開幕戦で金田正一(国鉄)に歯が立たず4打席4三振に倒れたが、終わってみれば130試合全イニングに出場。本塁打、打点の2冠王(打率は2位)に輝いた。「長いこと野球に携わったが、長嶋ほどバネのある選手は見たことがない。二度と出ないだろう」。藤田元司晩年の言葉だ。 同じ年、長嶋は9月19日の広島戦(後楽園)で左中間に本塁打を放った際、一塁ベースを跳び越えたため記録上、投ゴロとなった。これも長嶋史の一ページだがベースさえ踏んでいれば30本塁打で新人史上初のトリプルスリー(3割、30本、30盗塁)を達成していた。ちなみに巨人でトリプルスリーをやり遂げた選手は今日まで誰もいない。 月日が流れ、持ち前のバネが衰え始めた現役終盤は、激しく腕を振って走るなどオーバーなアクションでファンを喜ばせた。衰えに立ち向かい、自宅の地下室で続けたトレーニング。取材を申し入れた系列局のプロデューサーに長嶋は「一度でも映像を撮ったら永遠に残ってしまう。絶対にダメだ!」。強い口調だったという。 20世紀最後のシーズン。長嶋監督は背番号を「33」から「3」に戻した。お披露目は宮崎キャンプ。2月12日は快晴の土曜日だった。超満員のファンで埋まったグラウンドに白のクラウンで乗りつけた長嶋監督は大歓声の中、ゆっくりジャンパーを脱いだ。ノックバットを握り「よし、行くぞ!」。26年ぶりの永久欠番復活ショーに鳥肌が立った。続きを表示
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