カーレースから本屋の2代目に 店建て替えで好転を図るが・・・ 金武文化堂・中<どうなる?書店の未来> - 琉球新報デジタル
近くの金武小学校の低学年の児童が100円玉を手に握りしめ、金武文化堂を訪れた。店主の新嶋正規さん(61)は、商品ごとの値段を見せながら、児童が握りしめたお金で買える商品や値段を伝える。すると、児童は100円分で買える駄菓子、文具類などを選び、レジへ。正規さんは「子どもが100円を持ってきて、両替なども含めて30分ぐらいやりとりをして、やっと100円分の商品を売って、その100円からの儲けは5円ぐらい」ということもあるという。 それでも「子どもたちにとっては、それが初めての買い物だったり、勉強だったりもする」と話す。子ども好きだった創業者の父・忠良さんから継いだ店は、本屋というだけではなく、地元の子どもたちの居場所や勉強の場にもなってきた。金武町で生まれ育ち、幼い頃から父の書店経営をそばで見てきた正規さんだが、実は20~30代前半の約10年間は、県外で暮らし、書店とは別の道を歩んでいた。高校卒業後、愛知県の専門学校で自動車整備について学んだ後、トヨタ自動車に就職し、レーシングチームに入って全日本選手権や世界選手権にも出場するようなトップチームのメカニックを担当した。一方、金武で店を営む両親は、年齢を重ねて体力も低下していき「(地元に)帰ってきてほしい」と正規さんに再三、要望するようになったという。両親の声を受け止め、沖縄へ帰って店を継ぐため、1987年のシーズン終了後にレーシングチームをやめた正規さん。しかし「何も商売をやったことがない」という中で、すぐに帰郷するのではなく、まずは本屋について勉強することになった。1876年に創業した埼玉県の老舗書店「須原屋」が書店経営の後継者らを対象に門戸を開く研修制度に2年間、参加した。取次業者のトーハンで勤務した1年を合わせ、計3年間、県外で書店経営に役立つノウハウを学んだ上で、帰郷した。本の積み方や展示方法、書店ごとの個性も学び、出版社や書店との人脈もできた。「この3年間がなければ、帰ってきても(書店経営を)続けられなかったかもしれない」と話す。 数年は両親と一緒に金武文化堂を営んだ上で、1997年ごろから本格的に2代目の店主となった。まだ書店の売れ行きは好調な90年代ごろまでは「売れ筋の本をうまく仕入れた者が勝ち」だった。県外の書店や取次業者で学んだ経験や人脈も生かして仕入れも本棚の並べ方も工夫した。「車よりも、本屋の方が自分には向いているなと思った」とも感じた。売り上げは右肩下がりにあるものの、2015年には創業から約50年を迎え、店舗が老朽化する中、安全のため、建て替える必要が出てきた。 勉強熱心な正規さんは単なる店舗の建て替えではなく、全国的な事例も参考に、効果的な新店舗を検討した。横浜市で開催される本屋向けの講座へも通った。「売り上げをよくするためにはどうするか。お金を持っているのは大人だ。そのためには大人向けの商売をした方がいい」と考え、カフェやパン屋などを併設する形も考えていた。 しかし、同じ講座を受講する県外の書店関係者から「新嶋さんの店って素敵ですね。あんなにたくさんの子どもがいて。今の時代、書店に来る子どもはどんどん少なくなって、ほとんど見かけない。あんなに子どもが集まって、すごい」と評価された。現在の店舗に建て替える前の金武文化堂原点を思い返した。今までずっと悩み、考えていたが、目の前の霧が晴れ、目から鱗が落ちた。「自分たちが目指すべき店は、地元の子どもたちの手助けになり、役立つ店なんだなと思った。逆にそういう店ではない形で利益が上がったとしても、それは意味がないんじゃないか」と確信し、地域の子どもたちの役に立つ店づくりを目指す方向性が固まった。その方向に沿った情報収集も加速させた。「有名な大型書店よりも、個人でうまくいってるような全国の小さな書店を見て回った。和歌山県の山奥にあり、一人で営む書店や大阪、東京、博多にも行った」 1年間、いろんな本屋を回ったが、そこで得た答えは「答えはない」ということだった。「『ここと同じことをやれば大丈夫」という答えはない。同じ本屋でも、その土地、場所ごとに合わせたそれぞれの役目がある」と実感。「その役目や目標のために、何をやるか」が大事だと改めて認識したという。(古堅一樹).
近くの金武小学校の低学年の児童が100円玉を手に握りしめ、金武文化堂を訪れた。店主の新嶋正規さん(61)は、商品ごとの値段を見せながら、児童が握りしめたお金で買える商品や値段を伝える。すると、児童は100円分で買える駄菓子、文具類などを選び、レジへ。正規さんは「子どもが100円を持ってきて、両替なども含めて30分ぐらいやりとりをして、やっと100円分の商品を売って、その100円からの儲けは5円ぐらい」ということもあるという。 それでも「子どもたちにとっては、それが初めての買い物だったり、勉強だったりもする」と話す。子ども好きだった創業者の父・忠良さんから継いだ店は、本屋というだけではなく、地元の子どもたちの居場所や勉強の場にもなってきた。金武町で生まれ育ち、幼い頃から父の書店経営をそばで見てきた正規さんだが、実は20~30代前半の約10年間は、県外で暮らし、書店とは別の道を歩んでいた。高校卒業後、愛知県の専門学校で自動車整備について学んだ後、トヨタ自動車に就職し、レーシングチームに入って全日本選手権や世界選手権にも出場するようなトップチームのメカニックを担当した。一方、金武で店を営む両親は、年齢を重ねて体力も低下していき「(地元に)帰ってきてほしい」と正規さんに再三、要望するようになったという。両親の声を受け止め、沖縄へ帰って店を継ぐため、1987年のシーズン終了後にレーシングチームをやめた正規さん。しかし「何も商売をやったことがない」という中で、すぐに帰郷するのではなく、まずは本屋について勉強することになった。1876年に創業した埼玉県の老舗書店「須原屋」が書店経営の後継者らを対象に門戸を開く研修制度に2年間、参加した。取次業者のトーハンで勤務した1年を合わせ、計3年間、県外で書店経営に役立つノウハウを学んだ上で、帰郷した。本の積み方や展示方法、書店ごとの個性も学び、出版社や書店との人脈もできた。「この3年間がなければ、帰ってきても(書店経営を)続けられなかったかもしれない」と話す。 数年は両親と一緒に金武文化堂を営んだ上で、1997年ごろから本格的に2代目の店主となった。まだ書店の売れ行きは好調な90年代ごろまでは「売れ筋の本をうまく仕入れた者が勝ち」だった。県外の書店や取次業者で学んだ経験や人脈も生かして仕入れも本棚の並べ方も工夫した。「車よりも、本屋の方が自分には向いているなと思った」とも感じた。売り上げは右肩下がりにあるものの、2015年には創業から約50年を迎え、店舗が老朽化する中、安全のため、建て替える必要が出てきた。 勉強熱心な正規さんは単なる店舗の建て替えではなく、全国的な事例も参考に、効果的な新店舗を検討した。横浜市で開催される本屋向けの講座へも通った。「売り上げをよくするためにはどうするか。お金を持っているのは大人だ。そのためには大人向けの商売をした方がいい」と考え、カフェやパン屋などを併設する形も考えていた。 しかし、同じ講座を受講する県外の書店関係者から「新嶋さんの店って素敵ですね。あんなにたくさんの子どもがいて。今の時代、書店に来る子どもはどんどん少なくなって、ほとんど見かけない。あんなに子どもが集まって、すごい」と評価された。現在の店舗に建て替える前の金武文化堂原点を思い返した。今までずっと悩み、考えていたが、目の前の霧が晴れ、目から鱗が落ちた。「自分たちが目指すべき店は、地元の子どもたちの手助けになり、役立つ店なんだなと思った。逆にそういう店ではない形で利益が上がったとしても、それは意味がないんじゃないか」と確信し、地域の子どもたちの役に立つ店づくりを目指す方向性が固まった。その方向に沿った情報収集も加速させた。「有名な大型書店よりも、個人でうまくいってるような全国の小さな書店を見て回った。和歌山県の山奥にあり、一人で営む書店や大阪、東京、博多にも行った」 1年間、いろんな本屋を回ったが、そこで得た答えは「答えはない」ということだった。「『ここと同じことをやれば大丈夫」という答えはない。同じ本屋でも、その土地、場所ごとに合わせたそれぞれの役目がある」と実感。「その役目や目標のために、何をやるか」が大事だと改めて認識したという。(古堅一樹)
