世界有数の女性下着メーカーであるワコールは、戦後の日本で生まれている。業界ナンバーワンへと飛躍できたのは、いち早く製販一貫システムを導入し、大量生産のフォード方式の工程管理を…|BIGLOBEニュース
京都市右京区嵯峨清滝町の農家の10人兄弟の末っ子で、彼女が2歳の時に父親が亡くなるとすぐに家は貧窮し、母親は朝から晩まで必死に畑仕事をして働いた。それを見て、早く自分も働いて楽をさせてあげたいとばかり思っていたという。 栄養失調でバケツも満足に持てないような体であったにもかかわらず、10歳の時から料理屋の皿洗いとして奉公に出た。幼児虐待ではないかというのは現代人の感覚だ。この当時(昭和6年)、東北の冷害が深刻で娘の身売りが盛んに行われていた。それほど、この国は貧しかったのだ。 「人間、生まれたときはみな丸裸ですけれど、私の場合、その丸裸に着せる物がないというぐらいの貧乏な家に生まれたんです。だから小学校も行ってないです。字は看板で覚えました。酒屋のとこに“酒”と書いてある。あれが酒という字やなってね」するとすぐに頭角を現わす。とにかく数字に強いのだ。たちまち計算尺を使いこなすようになると、それを駆使し、落下傘製作の際の流体力学的問題についても専門家のような発言をするまでになった。何より得意だったのが、多くの部品からなる製品を大量かつ均質に生産する手法、フォード方式とも呼ばれるオートメーション生産の工程管理である。はっきりものを言う男勝りの性格もあってリーダーシップは十分。若くして彼女は現場を仕切る立場に抜擢された。軍の横流し品である落下傘用の絹地や伸縮性のあるメリヤスを材料に子供服を作ってくれという依頼である。彼女は期待に応え、海軍仕込みのノウハウでたちまち大量生産のラインを作り上げると、5、60人の職工を指導するようになった。.
京都市右京区嵯峨清滝町の農家の10人兄弟の末っ子で、彼女が2歳の時に父親が亡くなるとすぐに家は貧窮し、母親は朝から晩まで必死に畑仕事をして働いた。それを見て、早く自分も働いて楽をさせてあげたいとばかり思っていたという。 栄養失調でバケツも満足に持てないような体であったにもかかわらず、10歳の時から料理屋の皿洗いとして奉公に出た。幼児虐待ではないかというのは現代人の感覚だ。この当時(昭和6年)、東北の冷害が深刻で娘の身売りが盛んに行われていた。それほど、この国は貧しかったのだ。 「人間、生まれたときはみな丸裸ですけれど、私の場合、その丸裸に着せる物がないというぐらいの貧乏な家に生まれたんです。だから小学校も行ってないです。字は看板で覚えました。酒屋のとこに“酒”と書いてある。あれが酒という字やなってね」するとすぐに頭角を現わす。とにかく数字に強いのだ。たちまち計算尺を使いこなすようになると、それを駆使し、落下傘製作の際の流体力学的問題についても専門家のような発言をするまでになった。何より得意だったのが、多くの部品からなる製品を大量かつ均質に生産する手法、フォード方式とも呼ばれるオートメーション生産の工程管理である。はっきりものを言う男勝りの性格もあってリーダーシップは十分。若くして彼女は現場を仕切る立場に抜擢された。軍の横流し品である落下傘用の絹地や伸縮性のあるメリヤスを材料に子供服を作ってくれという依頼である。彼女は期待に応え、海軍仕込みのノウハウでたちまち大量生産のラインを作り上げると、5、60人の職工を指導するようになった。
