「これ、なんぼ?」「100円でええ」100均ダイソー創業者・矢野博丈が残した、“仕方のない状況を受け入れる”経営美学とは (2024年3月23日)

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「これ、なんぼ?」「100円でええ」100均ダイソー創業者・矢野博丈が残した、“仕方のない状況を受け入れる”経営美学とは (2024年3月23日)
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2024年2月12日、“100均”の愛称で知られる「ダイソー」を経営する大創産業の創業者・矢野博丈さんが、心不全のため80歳で亡くなった。今でこそ小売業の一大ジャンルを築いた「均一ショップ」であるが、...

2024年2月12日、“100均”の愛称で知られる「ダイソー」を経営する大創産業の創業者・矢野博丈さんが、心不全のため80歳で亡くなった。今でこそ小売業の一大ジャンルを築いた「均一ショップ」であるが、その誕生背景には、行き当たりばったりな矢野の「経営美学」があった。その思考の源泉を振り返る。「仕方のない状況」が生み出した「100円ショップ」1972年、とある街。そこにやってきた2トントラックには、大量の商品が積み込まれていた。トラックを運転していたのは、矢野商店の経営者・矢野博丈。商店といっても、小さな露天商で、トラックで各地を転々としながら細々と経営を続けていた。当時こうした商いは「サーキット商法」と呼ばれ、全国各地に同じような業者がいた。すべての画像を見る矢野は商品を店頭に並べ始める。事前にチラシを配っていた効果なのか、客は列を成して待っていた。待ちきれなくなった客は、開店準備が終わるのを待たず、そこにあった段ボールを開け、目当ての商品を探し始めてしまう。 「これ、なんぼ?」 急いで、伝票を見る。 「ちょっと待って」 扱う商品の数は、何百にもなる。なかなか、見つからない。 客を待たせるわけにはいかない。思わず矢野の口をついて出た。 「100円でええ」 それを聞いたほかの客も、矢野に聞いてくる。 「これは、なんぼ?」 矢野はまた答えた。 「それも、100円でええ」 (大下英治『百円の男 ダイソー矢野博丈』、p.

105)これが「100円ショップ」、いわゆる「100均」が誕生した瞬間だった。客に急かされて、仕方のない状況から偶然スタートしたのが100円ショップだった。矢野の店はその後「ダイソー」の名称になる。ダイソーの業績は右肩上がりで伸び、現在では年間売上高約5500億円、全世界店舗数6338店舗を抱える超巨大企業になった(ダイソー公式ホームページより)。後続するいくつかの100円ショップと競争を繰り広げつつ、今でも業界トップの座を占める。2022年には創業50周年を迎え、「2030年までに店舗数1万店・売上高1兆円」という壮大な目標を掲げている。そんな、ダイソーを創業した矢野博丈が、2024年2月に亡くなった。ここでは、矢野の業績を改めて振り返りながら、彼が生み出した独自の経営術について考えてみたい。貧しさの中から立ち上げたビジネス冒頭に紹介したエピソードのように、100円ショップはなかば偶然に誕生した。しかし同時に、矢野は「すべてを100円で売る」ことが、他店との大きな差別化につながると予感していた。事実、その予想通り「100円」という制約が、逆に魅力的な商品や、その流通を可能にする仕組みを生み出した。当時のダイソーは、現在のように常設の店舗を持っていたわけではなかった。矢野をはじめとした社員が、トラックに商品を積んで各地の催事場に出かけていき、そこで臨時の店舗を開く形で営業をしていた。今風にいえば、「ポップアップストア」である。これには、矢野がダイソーを創業する時点で、多くの資金を持っていなかったことが関係している。矢野の家庭は貧しく、大学には進学できたものの典型的な苦学生だった。大学卒業後も、百科事典のセールスマンやはまちの養殖業、ちり紙交換業などさまざまな職種を転々とした。自身の人生を振り返るときに出てくる、「転職9回、夜逃げ1回、火事1回」とお決まりのフレーズまであるくらいだ。そんな中で始める事業だったから、初期投資は少ないほうがいい。だからこそ、この形態になったのだ。というより、この形態でしか経営ができなかった、といってもよいかもしれない。100円ショップという形態だけでなく、こうした経営スタイルまでが、矢野の境遇から「仕方なく」生み出されたものだったのだ。「仕方のない状況を受け入れる」矢野の経営スタイル矢野の境遇は、その経営スタイルにある一貫性を持たせている。それは「仕方のない状況を受け入れる」という思考法だ。100円ショップが始まった状況を思い出してみてほしい。客が押し寄せ、どうしようもない。そんな中、苦肉の策として生み出されたのが「すべてを100円で売る」という発想だった。どうしようもない状況を「受け入れ」たときに、そこにイノベーションが生まれた。他の例を出そう。移動販売から本格的に店舗運営をはじめるようになったときにも、この思考法が現れる。当時ダイソーは、商品流通の6割を「ダイエー」に頼っていた。ダイエーは、日本におけるスーパーマーケットの草分けになった存在で、創業者・中内㓛を中心に全国に店舗展開を広げていた。そんなダイエーの催事場に、ダイソーは100円ショップを展開していた。しかし、1987年のある日、中内は矢野を呼び出し、こう言ったという。「催事場が汚くなる。これからの新時代にはふさわしくないから、ダイエーグループは100円均一の催事は中止する」売上の大部分をダイエーに頼っていた矢野にとって、この通知は衝撃的なものだったに違いない。伝記はこのように続く。六割もの商品ストップは大打撃だ。矢野はどうしたら会社が潰れなくて済むかと考えた。 「そうだ!ダイエーの客が流れるところに店を出せばいい!」ダイエーの中がダメならば、その外で店舗を出店すればいい。まさかの発想だった。こうして初期のダイソーは、ダイエーの近くに店舗を出店することで、常設店舗としての100円ショップがはじまる。 (大下英治『百円の男 ダイソー矢野博丈』)本来ならば、このような中内の暴挙ともいえる采配に対して、なんとかして食い下がることもできたはずである。しかし、矢野の自伝では、ダイエーから出店拒否をされてしまったときの状況が、非常に淡白に記述されている。矢野は状況をすんなりと受け入れ、そこからどうにかして状況を打破する方法を見つけたように見受けられる。ここにも、矢野の経営態度が表れているのではないか。ダイエー・中内㓛の「仕方のない状況は変える」経営この「状況を受け入れる」態度は、先のダイエー・中内と比較するとおもしろいぐらいに対極的だ。中内もダイエーを大きくするまでは、取引先からの冷遇を受けていた。例えば、松下電器(現・パナソニック)との取引でのこと。ダイエーは松下電器の製品を、提示した許容範囲を大きく下回る金額で販売した。そのため、松下電器はダイエーへの商品出荷を停止。これに対しダイエーは松下電器を相手取り、訴訟を起こす。いわゆる「ダイエー・松下戦争」の勃発であった。常に中内は、取引先に対して、好戦的な態度を取り続けた。他のスーパーマーケットとの出店競争に、それぞれ「戦争」という名称が付いていることがそれをよく表している(赤羽戦争や津田沼戦争、藤沢戦争など)。当時、大手スーパーチェーンだったイトーヨーカドーや西友と苛烈な出店争いを繰り広げたのだ(佐野眞一『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』、中内㓛『わが安売り哲学』)。中内の人生を見ていくと、そこには「闘争」や「戦い」、さらには「革命」という文字が並ぶ。食うか食われるか。中内の発想の根底には、そんな思考が流れていた。矢野のスタンスが「仕方のない状況から始める」ことだとすれば、中内のスタンスは「仕方のない状況を変える」ことにあったのだ。「仕方のない状況を受け入れる」経営で、日本の企業を見る一方で矢野には(仕事においては、これほどまでに熱意を持った人はいなかったと評されるが)、そのような好戦的な側面は見られない。どちらかと言えば、戦いを避けながら、飄々とビジネスの海を漂っている。先ほどダイエーが出店にあたって、さまざまな地域で「戦争」を繰り広げていた、と書いたが、こうした出店戦略においても、ダイエーとダイソーは対照的だ。ダイソーは、ショッピングモールやスーパーマーケットの一画に店舗を構えることも多く、他を潰して領土を確保するというよりも、共存しながらその領土をジリジリと拡大してきた。もちろん、ダイソーはそのようなことがしやすい業態だということもある。しかし、そもそも100円ショップという、ある種の「スキマ」業態を選んだこと自体にも、矢野の特徴が現れているのではないか。デフレの影響や商品開発力の凄みなど、100円ショップが躍進を遂げた理由にはさまざまなものがあると思うが、その理由の一つにこうした、柔軟な出店戦略があっただろう。その意味でも、矢野の「状況を受け入れる」経営は、結果的とはいえ、その成長に与した側面がある。実はこうした矢野の経営スタイルは、少数ながら他の経営者にも見られる特徴である。その代表例が、ドン・キホーテで有名なPPIHを創業した安田隆夫だ。安田の自伝によれば、ドンキの大きな特徴ともいえるPOPの洪水や、商品をジャングルのようにぎっしりと棚に詰めこんだ圧縮陳列は、開業当初あまりにも商品が売れないことから考え出された「苦肉の策」で、仕方なく始めたことが語られている。それが結果的には既存の小売に対する「逆張り」になり、今ではドンキは日本を代表する小売企業へと進化した。この例からもわかるように、矢野の持つ「仕方のない状況を受け入れる」経営スタイルは、日本の小売業界のある側面を語るときに、非常に興味深い論点なのである。 文/谷頭和希

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